真夜中日記

雄弁は銀

池袋晶葉と一ノ瀬志希の雑談

※ オチは特にありません。こんなとりとめもない話をしてそうだなというだけです。

 

「私、コーヒーあんま好きじゃないんだよね」

深夜の来客に何も出さないのは、いくら研究者気質である私と言っても、さすがに常識がないと疑われるかと思い、インスタントコーヒーをマグカップに入れて差し出したところ、とんでもない返事が返ってきた。

「もとい、今はコーヒーの気分じゃない!っていうかね」

私はふん、と鼻を鳴らし、一ノ瀬のその態度に対して不機嫌を隠すこともしない。

「それなら外の喫茶店でも行くがいいさ。いくらでもお前の好みの飲み物を出してくれるだろう」

そう言って私は彼女に背を向けて元々座っていたデスクに座りなおした。

「いやいや、怒らないでよ晶葉ちゃん。冗談、じょーだんだからさ」

こいつの冗談は一体どこからどこまでが冗談なのか線引きがわからん。

「まあ、今のは冗談ではないけどね」

と、マグカップに口をつけてコーヒーを飲む。

「結局気分次第ということだろう」

私はパソコンの画面を見ながら言った。私のマグカップはもう空だ。

「だって人間だもの。気分があるのは人間だけじゃないの~?」

「犬とか、猫くらいにはあるんじゃないか」

空のマグカップを手に取り、もう一杯コーヒーを淹れる為に炊事場へ向かいながら適当に答える。

「そうだねえ、さすが晶葉ちゃん」

「一ノ瀬、暇なら帰っていいんだぞ。むしろ私としてはその方が助かる」

ケトルで湯を沸かす。いずれ私の怒りもこの湯の温度を超えそうだな。

「ひどい!せっかくこの辺りをうろうろしてたら何故か事務所の電気がついてて雑談でもしに行くか、なんなら飲み物の一杯くらいは出るかもしれない!と思ってここまで徒歩でやってきた私に対してその言い草!」

「飲み物の一杯は出してやっただろう。そしてここまで来るにはエレベーターという選択肢はあったはずだ」

一ノ瀬に入れてやったコーヒーより少し値段の高いドリップ式のコーヒーを淹れる。これは私物だからな、私のものをどのタイミングで飲もうが私の自由だ。それが客人に安いコーヒーを淹れてやった直後であってもな。

「そもそもお前、雑談なんてするタイプか?」

もう一ノ瀬がこの事務所内にいるだけで私の作業がスムーズに進行することはないと判断したので、彼女が座る応接セットのソファの対面に私は座った。

「何を仰る。雑な談話と書いて雑談。雑な言葉と書いて雑言だよ」

「雑言は罵り言葉のことだろう」

「毎日、毎時間、毎秒も難しいことを考えてたら疲れない?晶葉ちゃんはそれで疲れてるんじゃないかなと思って心優しい志希ちゃんはその雑言をしにきたのじゃ」

「さっきのコーヒーに対する文句が雑言ということか?」

一ノ瀬はわざとそういう話し方をする。そういう奴だ。

「ま、適度な息抜きも必要じゃない?ってこと。今日ずーっと事務所にいるんじゃないの?」

プロデューサーか誰かから聞いたのだろうか。というより、そもそも今日は統一のオフ日だ。定休日とでも言えばいいのか。

「ま、家に居てもやることもないからな」

これは本当だった。元来私は家で勉強や仕事をするのが苦手なのだ。「仕事の場」としてセッティングされている事務所に来た方がスイッチが入りやすい。事務所に来ること自体がスイッチになっている、と表現した方が適切か。

「へー、私は家に居る方が考え事しやすいけどね」

「そうか、お前とは話が合わんな」

「軽い雑談でそこまでハッキリ言われるとは………」

どうやら私は私が思っている以上にコーヒーの件を根に持ったのかもしれない。

すっかり冷めてしまったであろうコーヒーに一ノ瀬は口をつけた。

「ねえ、私と晶葉ちゃんの違いってなんだと思う?」

唐突だ。いや一ノ瀬の話は大体が唐突なのだが。

「身長、体重、声、顔、目の大きさ、鼻の高さ、口の位置………挙げだすときりがないだろう」

「後半ちょっと私への悪口になってるけど、そうじゃなくてさ~」

「そもそも私とお前は別人格だ」

「それはそうなんだけど、今晶葉ちゃんが言ったのってあくまで物理的な違いでしょ?確かに人によって身長とか体重は違うけど、同じ『人間』ってカテゴライズされるわけじゃん、そこに対する違いっていうか~」

訳のわからん、そして理由のわからん議題、まあ雑談の類だろうが微妙に論理的なことを言ってくるから一ノ瀬の相手は厄介なのだ。

「そういうことなら価値観とか思考とか、そういう部分は違うだろ」

「コーヒーの好き嫌いとか?」

「それもひとつだろうな」

「でもそれってさー、先天的なものじゃなくて後天的なものじゃん。コーヒーが好きになるように環境を整えてあげればそうなる可能性もあるんじゃないの?」

コーヒーが好きになるような環境ってのはなんだ。味覚は外部的な要因には寄ってこないんじゃないか。

「あくまで過程の話だからさー」

「結局何が言いたいんだ、お前」

こういう思考ゲームみたいなものをしながらコーヒーを飲むと、あまり味を感じなくなる。だから私は人と食事しながら喋るというのが苦手だ。

 「結論なんてないよ、雑談だし。ただ、全く同じ環境、同じ育て方で二人の人間が育ってきても違いって絶対出るじゃん。それって何が原因なのかなあってふと思っただけ。逆に環境が違っても思考や価値観が合致する場合もあるじゃん。なんで?」

「なんで?と言われても、特定できるわけないだろう。それこそその個人が影響された経験が複雑に絡み合って思考や価値観を形成している、という他ない」

「私も晶葉ちゃんと同じような研究とか好きだし、きっと重複してる研究もあると思うんだー。けど何でコーヒーの好き嫌いが別れたりするんだろうね、不思議」

お前は別にコーヒーが嫌いなわけじゃなくて、嫌いな時もあるってだけだろう。

「それはそうかも」

「適当な奴だ」

「前に読んだ本でさ、不老不死を目指す科学者が『人間は生きてさえいれば尊い命という価値は変わらない』って言ってて、もう一人が『ただ生きているだけでは人間とは言えない。魂が存在しなければ』って反論するシーンがあったんだよね」

「唐突な奴だ」

「でもこれってさ、なんとなく私と晶葉ちゃんの価値観の違いに似てない?」

「もちろん私は後者側だろうな、そうでないと困る」

「私も前者全肯定じゃないよ?今は………だけど。それはともかく生きているという事実だけがあれば、それは人間扱いできるってのは一つの現実としてあるんじゃないかなーって私は思うっちゃ思うわけ」

「それを人間というか、生命として扱うことはできるだろう。生きているのは事実なんだから。ただ生命があるからと言って人間かと言われればそこには歪があると思うがな」

「人間の形はしていないけど脳が残っていて、生体機能は維持している、みたいな?」

「極端に言えばそうだ。人の形を保っているという視覚的な要因もあるかもしれんが、そうなるとその『人間扱いする側』も精神的にそれを人間だと認識できるように自分を保つ必要が出てくるかもしれんがな」

「そう、そこなんだよね。それってつまり魂があるかないか、ってところに帰結するじゃん。私は魂ってのは科学的に解明できないものだし、科学的に生きているという証明がなされれば、それは絶対的な事実として扱っていいものだと思ってたの」

「それを事実として扱うのは別に問題ではないさ。ただそこには魂というものは存在する。人間として扱うとか、それもそうだが科学的な面だけで推し量る以上のものがこと人間においては存在するしそれを無視するのはある意味人間でなくなるということだろ」

一体何の話をしているんだ、私たちは。

「私、晶葉ちゃんを見てて一番不思議なのはそういうとこ。科学者という理論とか理屈に基づいて動く畑の人なのに、科学で測れないものについて結構重要視するじゃん」

「それは前提として科学自体が人間によって作られたものだからだ。そこで人間と言う存在を無視して科学を語ることはできないだろ」

 「人間原理?」

「ちょっと違うんじゃないかそれは」

「私はきっと科学は科学って割り切ってた気がする。というか私自分のことを人間じゃないかもって思ってた時あったし」

結構衝撃的な発言だな、それ。

「私から見てもお前は立派な人間だよ。さっき言ってたろ、同じ人間と言うカテゴリの中にいるって」

「それで言えば、科学者ってカテゴリの中にも属してるもんね」

「ま、そういうことでいいだろ。もうコーヒーもないから帰ってくれ」

「志希ちゃん、晶葉ちゃんとあんまり共通点ないと思ってたけど、もしかしたらそんなことないのかも」

そう言い残して、一ノ瀬は帰っていった。