実ははぐプリライブを見て反省した話
本日はぐっとプリキュアライブ2018 Live for you!を見てきました。その感想です。
心がざわめいてしまったのでそれを文字にしたいと思いますが、ダイレクトに思ったことを書くのではぐプリめちゃくちゃ好きで演者たちも大好きだって人は序盤の方は不愉快かもしんないのでお気をつけ下さい。
つまり最終的には手の平を返すという話です。
ご存知の方も多いとは思いますが私は去年のキラキラプリキュアアラモードに非常に入れ込んでまして、本放送から映画からライブからグッズからほとんど制覇しているような状態で、今でもプリアラBDを嫁がいぬ間に見ているような状態です。
実際去年のプリアラライブに痛く感動しまして、今年もプリキュアライブやるということで、「前年プリアラライブでまほプリとか姫プリやったし曲数も少ないからプリアラの人たちも出るかもしんない!!!」という期待もあってCDを買い、ライブに最速で申し込んたような経緯です。
結果的にプリアラの面々は出ることなく、宮本さんがプリアラ前期OPを歌ったという結果だったわけですが、まあ本題はそこではないのです。
そして今年のはぐぷり本放送はというと、一応録画して見ているものの、前年のロスが大きいためそこまで入れ込まずに見ている感じでした。
事実、先週と先々週の放映は見ていませんし、発売されたボーカルアルバムも買っていないです。
まあ知らん曲をライブで聞くのもいいかと、そんな感じで臨みました。
昼夜の部と両方見たのですが、まあ思い入れもそこそこだったのでこんなもんだな〜やっぱな〜という感じで見ていて、はぐぷりは小倉唯さんと田村ゆかりさんという作品は知らないにしろ声優名は知っているような有名な方が出ていたので、他のメンバー三名は比較的新人ということなので食われちゃいそうだなあと正直思ってました。
更に言えば主人公の野々はなを演じる引坂さんは正直、愛嬌がある方ですがビジュアル的には他のメンバーには劣っているなあと思っていて、なかなか大変だよな…と思っていました。
そうして昼夜の部を終え、知らない曲もあったのでそれなり聞いて、引坂さんは終始複雑そうな、緊張しているような顔をされていたのでやっぱり周りが気になるよなあと思いながら聞いていました。
そして最後のアンコール後のMC、一人ずつ今日の感想を話していくという場面。キュアアンジュ役の本泉さんが「貴重な経験ができてよかった」と涙します。
そこでぽろぽろと言葉の節々で垣間見えたのが「自分には何もないから周りの人が助けてくれた」という感謝の気持ちでした。
そしてその後はキュアエトワール役の小倉唯さん。
有名だしライブの経験も多いし、今回のライブも慣れてるんだろうなと思っていましたが、彼女は「引坂さんも本泉さんも初めてなのにどんどん成長していってそれが嬉しかった」と語りました。
その後もキュアマシェリ役の田村さんも言葉は支離滅裂でしたが自分の溢れる想いを言葉にしたのがとても伝わり、キュアアムール役の田村ゆかりさんもめちゃくちゃ我が強いんだなというような感想を語りました。
最後に引坂さん。ここで彼女から「自分が一番できなくて、周りは出来る人ばかりで、自分には何ができるんだろうと考えながら頑張ってきて本当にみんなに助けてもらえた、ありがとう」と。
その時にめちゃくちゃ反省しました。
俺が思っていたことなんて引坂さん本人も感じていて、その重圧を持ちながらここまでやってきたのだと。
それは他人がとやかく言うことでもなく、彼女自身が今もう克服したことなんだと。
それでいて彼女は人に感謝して、皆にありがとうと伝えていることに感動してしました。
「頑張ってきてよかった」と言う言葉は他人から浴びせられることもありますが、多分それにはなんの価値もなくて、自分で「頑張ってきてよかった」と言えるのが本当の意味での頑張りなんだろうなと自分の中ですっと理解できる瞬間でした。
同時に、日常生活を送るうちに、いつの間にか人のことを批評したり、比較したり、下に見てしまっている自分を目の当たりにして、寂しい気分にもなりました。
ただ、これを今気付いただけよかったのだと思います。
皆忙しく過ごしていて、自分が一番忙しいといつの間にか思い込んで、やりもしない、深く知っているわけでもないのに批評してしまう癖がついてしまうんじゃないかと思いました。
そういう意味で、今回のはぐっとプリキュアライブは心動かされました。
そして引坂さんは様々な意味で主人公をやりきったのだと思いますし、ある意味どんな人でも主人公になることはできるんだと明日からの力をもらえたように思います。
なんかこう、プリキュアという作品じゃないところで感動してしまったような部分もありますが、もっとこう俺も頑張らないとな…と思ったことを思ったなりに書いてみました。
仕事が忙しくて心が弱ってくると、「頑張る」って言葉に恐怖心を持ってしまうんだよね
言ったら頑張らなくちゃいけないとか、頑張るってこれ以上何をやればいいんだ、とか
でも自分から頑張ろう、と思える人間が少なくともここに一人いる、そんなライブを見られたことは本当に幸運だった
1月にもライブあるし、そこまではなんだかんだで頑張るぞ…
あと今回「参加してるみんなプリキュアだよ!」というMCがあったけど、俺はやっぱり「プリキュアを守れる男になる」ってのが理想の男だなあと勝手に決心していました
意外とプリキュアアラモードはキャラ設定が重いという話
PCから見たレイアウト見づらっ!ってなったので変えました
タイトル通りなのですがプリキュアアラモードのキャラ設定、結構重いです
俺自身全部プリキュアを見てるわけではないので単純な比較はできないのですが、基本的にはプリキュアは「受難があってそれを乗り越える」ことが多い印象なのですが、プリアラの場合は「自身の内にある悩みやコンプレックスと戦う」というのが多かった気がする
そして思い出すとよくあるザコ(アカンベーとかヨクバール的な)がいないんだよなプリアラ
そのせいか敵の幹部が毎回姿を変えて登場して、キャラの内面を抉るみたいな展開が多かった気がする
そんなわけでプリアラ布教というか「へー意外とこんな話なんだ」となってもらうためのブログを書いてみたいと思います
なんか毎回長くなっちゃうので今回はできるだけ端的に書きたいと思います
☆宇佐美いちか(キュアホイップ)
主人公こと宇佐美いちかちゃん
彼女は見た目通りというか主人公体質なので元気で明るく、何事にも前向きな女の子で変身時も「元気と笑顔を、レッツ・ラ・まぜまぜ!」と言いながら変身します
なのですが、この元気さは実は裏返しのようなものだったりする
というのも、いちかちゃんの母は「国境なき医師団」で働く女医なんです
その為昔からお母さんは家におらず、時々帰ってくる程度。普段は柔道の道場(だったか)をやってるお父さんと二人暮らしで、家事も交代でやっています
それは今より子供の時(現在中2)からわかっていて、お母さんがいなくても大丈夫だよという気持ちを込めて日ごろから元気に努めている、とそんなわけなんです
実際第一話もお母さんが久々に帰ってくるので、お母さんが好きなショートケーキをお祝いで作ろう!というところから話がスタートするので、普通に切ないです
☆有栖川ひまり(キュアカスタード)
有栖川という名前からすげえお嬢っぽいけど実際はお嬢ではないひまり氏
彼女も結構過去に深い傷がありまして、昔からスイーツが好きでスイーツについて話すことが好きだったのですが、小学校の頃にその話をしすぎて同級生から「その話いるか?」と言われたことがトラウマになっています
そのおかげで「自分の好きなことを素直に話せなくなってしまった」という普通に重たいところからスタートします
その後いちかちゃんと出会うことで好きなことを話すのは全く悪いことではない、という展開になるのですがまたこれも後々傷がえぐられるので見てて辛いです
しかし心配することなかれ、そのおかげかひまり氏のエピソードはめっちゃ良いです
特に最終メイン回となる43話は好きなエピソードのTOP3には入ります(個人的に
そしてひまり氏の変身では「知性と勇気を」れっつらまぜまぜします
知性は昔から備えていたものですが、勇気を得るエピソードはマジでぐっとくるものがあります
☆立神あおい(キュアジェラート)
本作の「実はお嬢様でした枠」でバンドやってたり、ほぼ唯一の純粋な突っ込みキャラ
このバンドをやっているという設定が本編でもずっと引っ張られ、これ関連のエピソードがかなり出てきます
まず第一に「実家にはバンドをやっていることを隠している」ということ
前述のとおりお嬢で、実家は巨大財閥という立神家
その為、昔からお堅い習い事ばかりで自由に何かをするということはかなわず、それに耐えきれずに独自で路上ライブをはじめ、そこからバンドを組むという経緯があります
このエピソードが語られる前にテレビ出演する回があるのですが、そこであおいは「私は出なくていいや」とふいっと避けるのですが、それはここに繋がっています
そしてあおいの変身時は「自由と情熱を」となるわけですが、自由の部分はここに起因してるわけですな
ここまで読んでもらってるとわかるかもしれませんが、プリアラではこの変身時で言っている言葉がストーリー上大きな意味合いを持っています
前半メイン回で前の一単語(あおいなら自由)、後半メインで後の一単語(あおいなら情熱)がテーマになっています
まあそれに加えてもう1話あるのですが、それは総括した話になってるわけです
んであおいは実家の人々の前で今自分がやっているバンドの曲を披露し、やっていることを認めてもらうという流れですが、その後のエピソードも結構重くて「好きなだけで続けていいのか?」とか「今のメンバーでやっていけるのか?」とかもう一言で片づけられないようなテーマがのしかかってきます
そして個人的に印象に残ってるは、あおいの回だけ結構問題を投げっぱなしで終わるということ
投げっぱなしというのは語弊があるかもしれませんが、結果的に起こった事件はそのままなんですよね。それで「今後はあおいの力でなんとかするぜ!」みたいな感じで終わるので「いや、、、いいけど、、、そんな終わり方するか?!」みたいな気分になることが多々ありました(個人の感想です
思ったよりあおいが長くなったのでまた次の機会で高校生組+シエルをやろうかと思います
いや実際結構話が重いんですよプリアラ
あおいのメイン回二回目の27話とかマジでびっくりしましたからね俺
まあその代わりかプリアラって本編に一貫性があんまなくて、一話一話でずっしり来る時が多いんですが、意味不明な回も結構あります
まあこれは敵の目的があんまり定まってない(というか不明瞭)ってのもあるんですが
それは置いといて意外とキャラの背景が人間味あふれるってのが言いたかっただけです
なのでいちかちゃんがなんで人のことを気にするのかとかを考えると気軽に深刻な気分になれます
だからプリアラはキャラの掘り下げがしやすいんだよな、、、
今日はここまで
平成30年のGW最終日に考えていること
今まで使ってたブログ、スマホで見ると流れる系の広告があってうぜえなと思ったのと、単純に文章量が多すぎて客観的に読むのだるいなと思ったのではてなに乗り換えてみました。
多分今の私に必要なのは改行でしょう。
今年は改行を意識してブログは書きたいと思います。
例によって議題はないので思っていることを書きます。
嫌味とかそういうものではないという前提で読んでください。
今年で齢28歳になりましたが、子供の頃から「賢い」だの「頭がいいんだね」と言われる機会が多かったです。
それは入学した後に中学校がどこかと聞かれて答えたり、家庭教師のアルバイトをやっていたと話したり、仕事で上司と面接した時だったり。
それを言われて「そうか賢いのか」と受け取るのはどうなんだという感覚が自分の中にもあったのもありますが、自分について「頭が良い」とか「賢い」と認識したことはあまりないです。
あまりないとはどういうことか?となると思いますが、時々思うことはあります。
というのも「自信を持つ」というのは人生を送る上で結構な重要度を持つパラメーターの一つだと思っており、困難に直面した時に頼れるのは結局そこだけだと考えているからです。
最初は虚勢として自信を持つのがスタートだったり、何かしら強制的にやらされて(例えばやりたくもない習い事)結果を残すことだったりだと思いますが、そこで残した事実が一つの自信となり、その後活かせるものになってくるはず。
自分の話のがわかりやすいと思うので例とするなら、小学校1年生から水泳をやっていました。
これは特に自分の意思があった記憶はないのですが、母曰く「ピアノか水泳どっちがいいか聞いたら水泳と答えた」らしい。
その後小学校3年生まで水泳は続けるが、まあ水泳はあまり好きでないしそこまでタイムが出るわけでもないしで辛かったのは覚えてる。
そして小3の終わりに母に「やめてえ」と伝えて辞めました。
しかし「やめてどうするの」と問うてくるのがうちの母。
親父の友達の息子が入っている陸上クラブがあるというのでそこに入部し、そこも小学校卒業までは続きました。まあそこまでめっちゃ楽しい思い出はないけれど、そこそこタイムが出たことと他の小学校の人とも交流が持てたりお泊り会があったりでまあまあ楽しかった記憶があります。
その後中学ではバスケ部に入り高校(高専)まで続けました。
バスケについては中学の時に県の代表候補に選ばれたり(すぐ落ちたけど)、高校の時は全国大会に行ったり、スタメンやってたりでなかなか恵まれた結果を残すことができました。
余談が多くなったけど、その結果を残せたのはどうして?と聞かれると幼いころに水泳やってたり、陸上やってたから。と思っていて、基礎的な部分(体を思いのまま動かす)というのをそこで学べたからだと思ってます。
時間が経ってからにはなりますが、そのルーツに気付いてさらにその上にバスケで結果を残せたことがイコール現在の「運動ができる」という自信に繋がっているんだと思います。
まあ今めっちゃ運動してるわけではないけど、それがあるから意識的に運動はできると思ってるし、会社で野球部入ってからもそろそろスタメン取れそうなので自信から現実に繋がってる一つの例にはなりうるんじゃないでしょうか。
今のは経験談の一つとなりますが、勉強とかそういう方面でもそういう経験から得た自信 というのは誰にでも在りうるもので、「この点に関しては自信がある!」という部分を増やしていくのが様々なことに気付ける・トライできる一要因になるのだろうと考えてます。
ただし、「頭が良い・賢い」については確固たる自信がないというのが本当のところ。
その頭が良い・賢いにも種類がめちゃくちゃあると思ってるんですが、結果的に「定義が曖昧である」というのが私を一番悩ませてるところです。
仮にこのお題を種類で分割するとすれば
① 学校の勉強ができる(学歴が良い…とか)
② 機転が利く、頭の回転が速いとか
だと思ってるんですが、まあもう書き方からわかる通り②の定義がすでに曖昧。
①も分解というか還元していくと
頭がいい⇒学歴が良い⇒難しい試験を潜り抜けている⇒テストでいい点が取れる⇒勉強ができる
という発想かなと思ってるのでその前提で話します。
これについては「Aという問いについてBという答えをすぐに引き出せる」というのが一番自分の中で腑に落ちていて、もうちょい具体的に言うなら「自身の記憶にある情報が整頓出来ていて、かつ関連する情報をすぐに引き出せる」というのが「勉強できる」の総意ではないかなと思ってます。
数学なんかは特に初期段階で解に至るまでのツールを色々やらせて、テストではそのツールを組み合わせた問いを応用問題と呼んでいると思ってるので、その応用問題を見て「これはきっとこのツールを使えば分解できるな」というのに気づいてバラバラにしていけば回答に近づけるみたいなその感覚がある人はつまりは頭が良いんじゃないでしょうか。
ただこの感覚があるからこそ点数が取れるという人もいるでしょうが、やり方としては丸暗記ってのも成り立つので学歴だけでは測れないってのはその辺かなあという考えも自分の中であります。
また例えで申し訳ないですが、二次方程式の解の公式ってあるじゃないですか。
あれって授業の中で「なんでこれが公式なのか?」ってのをうちの教師は等式変形でやってくれたんですが、ここに興味持てるか否かが一つ境目じゃないかと家庭教師やってた時に感じました。
俺の場合高専だったので「なんでこの式がこうなる?」ってのを結構強めに説明してくれたのはありがたくて、世の中で起こってることも「なんでこれが起こる?」ってのを掘り下げてくのが必要なんですよね。
まあそれはともかくその理由を知っているからこそ、二次方程式の問題を見たときにいざ解の公式を使うぞとなって、公式だからということで丸暗記してそれを使用するのか、最悪の場合二次方程式を等式変形すれば解の公式使えるなと思っているのかで結構差が出る気がします。
後者の場合は記憶として二つのもの(二次方程式の等式変形≒解の公式)が紐づいているので記憶の引き出しから引っ張り出しやすいんでしょうね。
なんか昔テレビでフラッシュ暗算的に適当なものの画像を出してその順番を覚えられるか?みたいな番組がありましたが、なんかその筋で有名な人は画像を見てストーリーを構築してるって言ってた記憶があります。
バナナ⇒洗濯機⇒木⇒りんご…とかなら「バナナを洗濯機で洗ったらそこから木が生えてりんごが生った」とか。
そういう機会があった時この手法使いますが、俺の場合そこにいらない登場人物を作っちゃうのでダメでしたね。ただ、関連したものを的確に作るというのは記憶を残すうえではかなり重要だと思ってます。
ということで①についての整理はこんなところです。
続いて②について言えばどうなんでしょう。そもそも定義が曖昧ですからね。
漫画とかだと「勉強はできないけど機転は利く」とか、会社でも「勉強はできなかったけど仕事はできる」みたいな話はよくありますね。
いやごめんこれ書いてて思ったんですが、結果①に繋がってきますね。
②については「速さ」が全てだと考えてて、前にも言ったことあるけど化物語シリーズの貝木がそれについては言及してくれていて、これにかなり納得したって話だったんです。
ただ、この速さだけではやっていけないよなあと思っていたのですけど、つまりは①で言っていたのと組み合わせて「引き出しを開ける速度が速い」ってのが頭の良さであるってのが一番しっくりきますね。
とはいえそれってのもまず土台となる情報量をどれだけ多く持つかってのもあるし、その情報に対してどれだけ整頓されたタグ付けができるかどうかってのがカギになりそう。
そうなると「これはここに置く」とかそういう整頓が上手な人ってのはやっぱ頭がいいのかもしれませんね。
余談ですが職場でデスクが整ってる人って大体家キレイですもんね。
その逆ってあんま見たことないし、職場のデスク散らかってると大体家も散らかってるイメージがあります。
ほんとは「大人について」も考えてることざーっと出してみたかったんですが、思ったより頭の良さってやつに時間がかかったのでこんなところにしておこう。
あと時間ある時に考えたいのは「30歳までの目標」ってやつ。
なんだかんだそこが節目になると思うし、体力的なものも減少する(らしい)のでそこまでに何か面白いことを見つけておきたいなあという気持ちがある。
うーんそうなると「今自分は何がしたいのか」を明確にするのが第一になってくるからそっからだよなー。
ちゃんと自分の欲望・目的については時々向き合わないとスタートできないなと思うGWの最終日でした。
こういうのって一つ目的というか楽しみなことが終わると考え始めちゃうんだよな。
次の楽しみを見つけて、さらにその奥にある大きなものに近づきたくなるので、その大きなものの輪郭をはっきりさせていきたいです。