真夜中日記

雄弁は銀

平成30年のGW最終日に考えていること

今まで使ってたブログ、スマホで見ると流れる系の広告があってうぜえなと思ったのと、単純に文章量が多すぎて客観的に読むのだるいなと思ったのではてなに乗り換えてみました。

 

多分今の私に必要なのは改行でしょう。

今年は改行を意識してブログは書きたいと思います。

 

例によって議題はないので思っていることを書きます。

 

嫌味とかそういうものではないという前提で読んでください。

今年で齢28歳になりましたが、子供の頃から「賢い」だの「頭がいいんだね」と言われる機会が多かったです。

それは入学した後に中学校がどこかと聞かれて答えたり、家庭教師のアルバイトをやっていたと話したり、仕事で上司と面接した時だったり。

それを言われて「そうか賢いのか」と受け取るのはどうなんだという感覚が自分の中にもあったのもありますが、自分について「頭が良い」とか「賢い」と認識したことはあまりないです。

 

あまりないとはどういうことか?となると思いますが、時々思うことはあります。

というのも「自信を持つ」というのは人生を送る上で結構な重要度を持つパラメーターの一つだと思っており、困難に直面した時に頼れるのは結局そこだけだと考えているからです。

最初は虚勢として自信を持つのがスタートだったり、何かしら強制的にやらされて(例えばやりたくもない習い事)結果を残すことだったりだと思いますが、そこで残した事実が一つの自信となり、その後活かせるものになってくるはず。

 

自分の話のがわかりやすいと思うので例とするなら、小学校1年生から水泳をやっていました。

これは特に自分の意思があった記憶はないのですが、母曰く「ピアノか水泳どっちがいいか聞いたら水泳と答えた」らしい。

その後小学校3年生まで水泳は続けるが、まあ水泳はあまり好きでないしそこまでタイムが出るわけでもないしで辛かったのは覚えてる。

そして小3の終わりに母に「やめてえ」と伝えて辞めました。

しかし「やめてどうするの」と問うてくるのがうちの母。

親父の友達の息子が入っている陸上クラブがあるというのでそこに入部し、そこも小学校卒業までは続きました。まあそこまでめっちゃ楽しい思い出はないけれど、そこそこタイムが出たことと他の小学校の人とも交流が持てたりお泊り会があったりでまあまあ楽しかった記憶があります。

 

その後中学ではバスケ部に入り高校(高専)まで続けました。

バスケについては中学の時に県の代表候補に選ばれたり(すぐ落ちたけど)、高校の時は全国大会に行ったり、スタメンやってたりでなかなか恵まれた結果を残すことができました。

 

余談が多くなったけど、その結果を残せたのはどうして?と聞かれると幼いころに水泳やってたり、陸上やってたから。と思っていて、基礎的な部分(体を思いのまま動かす)というのをそこで学べたからだと思ってます。

時間が経ってからにはなりますが、そのルーツに気付いてさらにその上にバスケで結果を残せたことがイコール現在の「運動ができる」という自信に繋がっているんだと思います。

 

 まあ今めっちゃ運動してるわけではないけど、それがあるから意識的に運動はできると思ってるし、会社で野球部入ってからもそろそろスタメン取れそうなので自信から現実に繋がってる一つの例にはなりうるんじゃないでしょうか。

 

今のは経験談の一つとなりますが、勉強とかそういう方面でもそういう経験から得た自信 というのは誰にでも在りうるもので、「この点に関しては自信がある!」という部分を増やしていくのが様々なことに気付ける・トライできる一要因になるのだろうと考えてます。

 

ただし、「頭が良い・賢い」については確固たる自信がないというのが本当のところ。

その頭が良い・賢いにも種類がめちゃくちゃあると思ってるんですが、結果的に「定義が曖昧である」というのが私を一番悩ませてるところです。

 

仮にこのお題を種類で分割するとすれば

① 学校の勉強ができる(学歴が良い…とか)

② 機転が利く、頭の回転が速いとか

だと思ってるんですが、まあもう書き方からわかる通り②の定義がすでに曖昧。

 

①も分解というか還元していくと

頭がいい⇒学歴が良い⇒難しい試験を潜り抜けている⇒テストでいい点が取れる⇒勉強ができる

という発想かなと思ってるのでその前提で話します。

これについては「Aという問いについてBという答えをすぐに引き出せる」というのが一番自分の中で腑に落ちていて、もうちょい具体的に言うなら「自身の記憶にある情報が整頓出来ていて、かつ関連する情報をすぐに引き出せる」というのが「勉強できる」の総意ではないかなと思ってます。

 

数学なんかは特に初期段階で解に至るまでのツールを色々やらせて、テストではそのツールを組み合わせた問いを応用問題と呼んでいると思ってるので、その応用問題を見て「これはきっとこのツールを使えば分解できるな」というのに気づいてバラバラにしていけば回答に近づけるみたいなその感覚がある人はつまりは頭が良いんじゃないでしょうか。

 

ただこの感覚があるからこそ点数が取れるという人もいるでしょうが、やり方としては丸暗記ってのも成り立つので学歴だけでは測れないってのはその辺かなあという考えも自分の中であります。

 

また例えで申し訳ないですが、二次方程式の解の公式ってあるじゃないですか。

あれって授業の中で「なんでこれが公式なのか?」ってのをうちの教師は等式変形でやってくれたんですが、ここに興味持てるか否かが一つ境目じゃないかと家庭教師やってた時に感じました。

 

俺の場合高専だったので「なんでこの式がこうなる?」ってのを結構強めに説明してくれたのはありがたくて、世の中で起こってることも「なんでこれが起こる?」ってのを掘り下げてくのが必要なんですよね。

まあそれはともかくその理由を知っているからこそ、二次方程式の問題を見たときにいざ解の公式を使うぞとなって、公式だからということで丸暗記してそれを使用するのか、最悪の場合二次方程式を等式変形すれば解の公式使えるなと思っているのかで結構差が出る気がします。

後者の場合は記憶として二つのもの(二次方程式の等式変形≒解の公式)が紐づいているので記憶の引き出しから引っ張り出しやすいんでしょうね。

 

なんか昔テレビでフラッシュ暗算的に適当なものの画像を出してその順番を覚えられるか?みたいな番組がありましたが、なんかその筋で有名な人は画像を見てストーリーを構築してるって言ってた記憶があります。

バナナ⇒洗濯機⇒木⇒りんご…とかなら「バナナを洗濯機で洗ったらそこから木が生えてりんごが生った」とか。

そういう機会があった時この手法使いますが、俺の場合そこにいらない登場人物を作っちゃうのでダメでしたね。ただ、関連したものを的確に作るというのは記憶を残すうえではかなり重要だと思ってます。

 

ということで①についての整理はこんなところです。

続いて②について言えばどうなんでしょう。そもそも定義が曖昧ですからね。

漫画とかだと「勉強はできないけど機転は利く」とか、会社でも「勉強はできなかったけど仕事はできる」みたいな話はよくありますね。

 

いやごめんこれ書いてて思ったんですが、結果①に繋がってきますね。

②については「速さ」が全てだと考えてて、前にも言ったことあるけど化物語シリーズの貝木がそれについては言及してくれていて、これにかなり納得したって話だったんです。

 

ただ、この速さだけではやっていけないよなあと思っていたのですけど、つまりは①で言っていたのと組み合わせて「引き出しを開ける速度が速い」ってのが頭の良さであるってのが一番しっくりきますね。

 

とはいえそれってのもまず土台となる情報量をどれだけ多く持つかってのもあるし、その情報に対してどれだけ整頓されたタグ付けができるかどうかってのがカギになりそう。

そうなると「これはここに置く」とかそういう整頓が上手な人ってのはやっぱ頭がいいのかもしれませんね。

 

余談ですが職場でデスクが整ってる人って大体家キレイですもんね。

その逆ってあんま見たことないし、職場のデスク散らかってると大体家も散らかってるイメージがあります。

 

ほんとは「大人について」も考えてることざーっと出してみたかったんですが、思ったより頭の良さってやつに時間がかかったのでこんなところにしておこう。

 

あと時間ある時に考えたいのは「30歳までの目標」ってやつ。

なんだかんだそこが節目になると思うし、体力的なものも減少する(らしい)のでそこまでに何か面白いことを見つけておきたいなあという気持ちがある。

 

うーんそうなると「今自分は何がしたいのか」を明確にするのが第一になってくるからそっからだよなー。

ちゃんと自分の欲望・目的については時々向き合わないとスタートできないなと思うGWの最終日でした。

 

こういうのって一つ目的というか楽しみなことが終わると考え始めちゃうんだよな。

次の楽しみを見つけて、さらにその奥にある大きなものに近づきたくなるので、その大きなものの輪郭をはっきりさせていきたいです。